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長崎漁港の歴史は古く、江戸幕府が開かれる30年ほど前の1570年頃(戦国時代末期頃)に開港されました。
元禄時代頃にはすでに水産物積出港として加工貯蔵の施設があったということです。
明治末期に現在の長崎駅付近に荷揚場として岸壁が築かれ、大正初期には魚市場も開かれました。
戦後になると、漁業の発展と漁船の大型化が進み、既存の施設では対応できなくなってきました。
そこで、長崎市の西部に位置する三重地区において、日本一の規模を誇る漁港施設を整備してきました。
現在も水産物の加工から世界に誇れる水産基地への飛躍を目指して整備が進められています。
水揚される主な魚介類は、アジ、サバ、イワシ、ブリ、などが中心です。
◆ グラバー図譜
グラバー図譜は通称で、正式な名称は 「日本西部及び南部魚類図譜」と言います。
これらの図譜は、幕末から明治にかけて活躍した英国商人、トーマス・グラバーの息子の倉場富三郎により、
明治末から昭和初期の約25年間の間に編纂されたもので、長崎在住の日本画家たちに描かせた図譜は558種の魚を
写生したものに、 貝類と鯨を含む計823枚の図譜から成っており、描写が美しく、断面図やウロコの拡大図などが
添えられているところが大きな特長です。 富三郎は蒸気トロール漁船をイギリスから輸入し、日本の水産業の振興に大いに貢献しました。
また、グラバー図譜の編纂が始まったのはちょうどこの時期であり、水揚げされた魚介類を見て生物学を学んだ彼が、
図譜の編纂を思い立ったと考えられます。
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