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このコーナーでは、魚の雑学やちょっと面白い話をご紹介します。 楽しく魚のことを知ってお魚博士になりましょう。
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第4回 鯖の調理法は先人の知恵
サバは日本人の生活の中で欠かせない蛋白源として古くから親しまれてきた魚です。
実際、良質なたんぱく質に富むほか、生活習慣病の予防につながるDHAやEPA、
ビタミン、ミネラル類も豊富です。ただ「鯖の生き腐れ」という諺通り、
大変に傷みやすい魚です。サバの内臓や血合肉は酵素類を多く含んでおり、
水揚げされるとこの酵素の働きが強まり、ヒスチジン(アミノ酸の一種)がヒスタミン
(じんましんの原因になることもある)に変化し、食中毒を起こすことがあるのです。
たとえ新鮮に見えても、内部が傷んでいる場合があるので注意しなくてはなりません。
このような食中毒は加熱したり塩や酢を利用することで回避することができます。
塩鯖や〆鯖、味噌煮などの独特の調理法は、傷みやすいという欠点から
生み出された先人の知恵によるものなのです。
□鯖街道と京の鯖寿司□
江戸時代中期、若狭湾で取れた鯖をたっぷりと粗塩に漬け、夜も寝ないで京都まで運ばれていました。
この塩鯖が京都に着くころには、ちょうど良い塩加減となっており、京の人々に喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、これを運ぶ道をいつしか「鯖街道」の名で呼ばれるように
なりました。京都名物である鯖寿司が生まれたのもこの時期です。
海の無い京都では、魚は高級品です。
人々は「特別なお祭りの日くらい、魚を食べたい」と、
若狭の塩サバを買い求め、酢でしめ、すし御飯とあわせて鯖寿司をつくりました。
今でも鯖寿司は葵祭や祇園祭で欠かせないご馳走なのです。
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第3回鮟鱇(アンコウ)の吊るし切り
これからの寒い季節が旬の食材のアンコウ。この時期は脂がのっていて大変美味しいのです。
しかし、図体が大きい上にぐにゃぐにゃなので、普通にさばくのではなく、あごに鈎を引っかけ吊るした状態で切りさばく、
いわゆる「あんこうの吊るし切り」で調理します。

アンコウ料理の歴史は古く、江戸時代の『本朝食鑑』(平野必大、1697)にもアンコウ料理が紹介されているほどで、
その独特な料理方法は今も昔と同様、この「吊るし切り」なのです。
江戸っ子はアンコウを食べに行くときに「今晩は冷えるから仙台さまといこうじゃねぇか」と洒落を言っていたそうです。
むかし江戸吉原の花魁 高尾太夫に懸想した仙台候伊達綱宗が落籍しようとしましたが、お抱えの三浦屋四郎左衛門に義理立て
して応じなかったので、船中に吊るされて殺されてしまったといいます。この談義に引っかけてこのような洒落が生まれたのです。

アンコウは琵琶魚ともいいます。楽器の琵琶に似るからです。英語名では、その姿からシーデビル(海の悪魔)、フロッグフィッシュ(蛙魚)
といわれています。普段は深海にじっとしていて、目の前を通りかかった小魚を、大きな口でガバッと呑み込みます。
ですが、深海の底で飢えると海面の間に浮上し、希に鳥を飲み込んで潜れなくなって捕獲されることもあるようです。
ミツクリエナガチョウチンアンコウというアンコウは、60cmの雌に対して雄は2cmほどです。交尾の際は雄が鋭い歯で雌に噛み付き、
そのまま離れずにやがては血管までつながってしまいます。腸を持たない雄は雌の体から通じる血管を通して、栄養を吸収していると考えられています。
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第一回 わが国におけるフグ中毒取締令の始まり
豊臣秀吉は朝鮮征伐のために肥前の国に名護屋城を築城し、ここを基地に16万の兵を全国から駆り集めた後、 朝鮮へ出兵させました。
これが文禄の役(1592年)ですが、この用兵を全国から集めているときに、禁止令の契機となる事件が起きたのです。
朝鮮出征の際、一旦下関へ終結した兵たちは諸国から来ているのでフグの毒を知らず内臓も煮て食べて命を落とすものが続出しました。
そこでたまりかねた秀吉は町の辻つじに禁札を立てさせ、これにフグの絵を描いて「この魚食うべからず」とその食用を禁じました。
また江戸時代にはフグ食が大いに普及した時代ですが、武士には各藩が「フグ食用禁止の掟」を設けて厳しく取り締まりました。
生産地の一つ、長州藩では禁を犯して死んだら家禄没収、お家断絶となりました。 |

基本的に魚にはまぶたがありませんが、フグにはまぶたがあります。
まぶたといっても、特殊なまぶたで、目の縁には輪状筋という組織があり、これによって2〜3秒かけ
目を開閉することが出来ます。これは人間と同様目を保護する為と考えられます。
専門の調理師はふぐの目のあたりを人差し指でこすり反応をみて、活きの良し悪しを判断することもあります。
目をこすられると、活きの良いフグは即座に目を閉じるのです。
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